株式会社丸運

金原明善に会いに行こう

治山治水に一生を捧げた郷土の偉人

金原 明善(きんぱら めいぜん)

天保3年(1832年)6月7日、遠江国安間村(現:浜松市東区安間町)生まれ。
幼名を「弥一郎」、明治6年に「明善」と改めました。
生家では代々名主を務め、「質屋」や「造り酒屋」も営んでおりました。
明善は数々の事業を興し、近代日本の発展に貢献しています。
生涯をかけて取り組んだ「天竜川の治水」「植林事業」は特に有名です。

金原明善 経歴概要
天保3年(1832年)6月7日 遠江国長上郡安間村(現浜松市東区安間町)に誕生
明治元年(1868年)3月 京都に上り維新政府民政局に天竜川治水策を建白(37才)
明治5年 自家を提供、小学校を創設
明治8年3月 治河協力社を設立
明治10年

水利学校を創設

水利学校の教科書
明治10年12月 内務卿大久保利通に会見
明治11年8月 財産整理を終え、私財6万3千円余を治河協力社に寄附
明治11年11月1日 明治天皇治河協力社に行幸、明善夫妻に賜謁
明治12年6月 全財産を治河協力社に寄附、水害防除に努めたのを賞せられ金盃下賜(静岡県)
明治13年

静岡および浜松に川村矯一郎とともに出獄人保護事業を創始
(後21年社団法人静岡県出獄人保護会社となり44年財団法人静岡県勧善会に改組)

保護事業運営のため、明善は揮毫(書を書く)による募金活動をおこなった。
※69歳から習字を習う
明治17年より23年迄 小野組紛争調停
明治17年 丸家銀行の整理
明治18年 東里為替店開設(32年合名会社金原銀行に改組)
明治18年12月 静岡県豊田郡瀬尻村官有林の委託植林を許可
明治19年 興業店を引き受け新式機械製材を開始(後の丸天天竜木材株式会社)
明治20年 瀬尻村所在山林(瀬尻官林隣接地)1,200町歩の経営に着手
明治20年9月 海防費1万1千円を献金
明治21年5月 従五位に叙せられたが位記を拝辞
明治23年 日本治水協会を設立(事務局を東里為替店に置く)
治水雑誌を発行
明治24年 天城御料林の造林委託経営
明治25年

天龍運輸株式会社を創立(丸運の創業)

天龍運輸事務所
創立二十周年記念誌
明治30年7月 濃尾大地震後の治山策として岐阜県本巣郡根尾谷を調査し、岐阜県下植林計画を立案
明治31年3月 長男明徳に家督を譲り養孫巳三郎が事業を相続(67才)
明治32年2月 瀬尻御料林植林完成献納特許される
明治33年2月 北海道瀬棚郡に金原農場を創設(3千ヘクタール)
明治33年6月

瀬尻御料林改相の功により金盃一組と金5万円を下賜される(宮内省)

明治37年5月 金原山林1,200町歩の寄附により金原疏水財団を設立(昭和13年金原治山治水財団と改称)
明治40年12月 郷里和田村長に就任(76才)42年5月辞任
静岡県基本林造成地山林263町歩余(実測800町歩)寄附により金盃一組を下賜される(賞勲局)
明治44年2月 恩賜財団済生会に金5万円を寄附
大正3年10月 特旨を以て正五位に叙せられる
大正11年5月 多年出獄人保護事業の功により金盃一組を下賜される(司法大臣)
大正11年1月14日 東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷羽根沢にて永眠
大正12年 叙従四位勲三等 法名 天龍院殿明善日勲大居士

金原明善翁生家(記念館)のご案内

実業家・慈善家である金原明善の生家(築後約200年経過)にて、社会貢献一筋に生涯を捧げた明善の数々の功績を展示してあります。
なお、展示品は歴史的に貴重な資料や遺品などが多数あります。

生家内の様子

家の土台や主な柱・梁などは、当時のものをそのまま使用
数々の遺品が展示してある
金原明善を紹介している伝記本や書籍
山籠(明善が91歳で、最後に金原山林を視察したときに使用した)

来館について

アクセス JR浜松駅から〔9番ポール安間町バス停〕で安間停留所(約25分)下車後徒歩2分
またはJR天竜川駅から車で3分
電話番号 053-421-0550
住所 〒435-0012 静岡県浜松市東区安間町1
開館時間 9:00-17:00
休館日 月曜日・火曜日・水曜日・年末年始
入館料 無料
駐車場 普通乗用車:10台
問い合わせ先 一般財団法人 金原治山治水財団 明善記念館(生家) 館長:金原 利幸
一般財団法人 金原治山治水財団ホームページ http://wm-meizen.jp/index.html 新規ウィンドウで開く

自動車・バスでお越しの方

自動車の場合

東名高速 浜松I.Cより車で約10分

バスの場合

JR浜松駅より、安間停留所約25分

バス停からの順路

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