株式会社 丸運

沿革​

130年以上の歩み

岡山県倉敷市の美観地区には大原美術館という観光名所があります。この大原美術館を設立した明治・大正時代の富豪、大原孫三郎は倉敷日曜講演という講演会を主催していました。これは全国の学者、知識人を招聘して講演をしてもらうというもので、1902年から20年近くも続きました。この第19回に当社の創業者金原明善が「経歴と希望」という題目で講演を行いました。金原明善は明治・大正時代に静岡県が生んだ偉人であり、行う事業はあくまでも公益優先を考える稀有の人でした。
彼は私財をなげうってまで天竜川の治山治水に取り組み、地域そして国家に貢献しました。
かつて、天竜川流域は杉・檜などの天然資源に恵まれ、その良材は天竜川を利用した水上運輸で各地へ運ばれていました。しかし、ひとたび豪雨が降ると大きな被害に見舞われていたことから、金原明善は、安全確実な輸送手段として鉄道による木材輸送事業を興しました。この事業が当社の源流です。

1892年(明治25年)9月
金原明善が天龍運輸会社を創業、天竜川河畔と東京で鉄道による木材輸送事業を興す(丸運の創業)
金原明善
1928年(昭和3年)12月
天龍運輸 天龍運送株式会社設立
1938年(昭和13年)12月
天龍運送 株式会社天龍組を設立
1941〜45年
(昭和16〜20年)
天龍運輸、天龍運送 陸運非常体制の下、日本通運に統合
1947年(昭和22年)12月
天龍組 戦時統合を免れ天龍運輸株式会社に商号変更
1950年(昭和25年)12月
株式会社鉄道木下組の陸上輸送部門を譲り受け、社名を天龍木下運輸株式会社に変更
1955〜59年
(昭和30〜34年)
1955~59年(昭和30年代前半)、通運事業は全盛期を迎えていました。国鉄近代化施策の一環としてコンテナ列車が運行され、当社も汐留・秋葉原駅等での混載貨物取扱で活況を呈していました。
1955年(昭和30年)頃
のオート3輪車
鉱石輸送等のため
7トンダンプが完成
国鉄初のコンテナ列車
「たから号」
汐留から梅田へ
(1959年(昭和34年)11月5日)
1960年(昭和35年)6月
由緒ある社章に因み、社名を株式会社丸運に変更
社章
車両のデザインが
ツートンカラーに
1981年(昭和56年)8月
丸運のアイドルマークに「のらくろ」を採用
<のらくろ>は、戦前の少年たちの愛読誌であった月刊少年倶楽部に、昭和6年から10年間にわたって連載された田河水泡作の漫画でした。子犬のときに捨てられた野良犬の"くろ"は、みなし子という境遇にもめげず、猛犬連隊に入隊し、その陽気で元気に生き生きとした姿は、100万の読者を熱狂させました。この"のらくろ"のまじめに何事にも積極的に取り組む姿勢が、当社の誠実・安全・創造の社是とも一致するということで、アイドルマークとして採用されることとなりました。お客さまのために"いちばん良い仕事"を心がけ、信頼され、愛され、親しまれる<のらくろ>=<丸運>をめざして、今日も日本全国を走り続けています。
1986年(昭和61年)1月
東扇島物流センター開業
物流新時代に対応した大型物流拠点の第1号として、東扇島物流センターが完成。
これ以後、相次いで大型物流拠点が整備されていくこととなります。
東扇島物流センター
化成品ローリー車
1990年(平成2年)9月
東京証券取引所第1部に指定替え
1992年(平成4年)9月
創業100周年
2000年(平成12年)10月
ISO9001認証取得
2002年(平成14年)9月
液体輸送事業を再構築し、地域別新会社8社が事業を開始 株式会社ジョモトランスポート札幌
(現・株式会社丸運トランスポート札幌)の株式取得(現・連結子会社)
2003年(平成15年)12月
ISO14001認証取得
2006年(平成18年)3月
中国に上海事務所を設立
2008年(平成20年)1月
中国に現地法人「丸運国際貨運代理(上海)有限公司」設立
2009年(平成21年)5月
日本工業規格に準拠するプライバシーマークの認定取得
2011年(平成23年)8月
本社を東京都中央区日本橋小網町に移転
2015年(平成27年)4月
認定通関業者(AEO通関業者)の認定
2016年(平成28年)4月
丸運国際フレート株式会社を統合
2017年(平成29年)8月
ベトナムに現地法人「有限会社丸運物流ベトナム」設立
2019年(平成31年)4月
静岡石油輸送株式会社の株式を51%取得(連結子会社)
2022年(令和4年)4月
東京証券取引所スタンダード市場
2024年(令和6年)7月
ベトナムにおいてSANCOPACK社と資本業務提携
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